「馬町空襲を語り継ぐ会」第4回会合
●これまで馬町空襲は、戦時中に作成された「知事事務引継書」(府立総合資料館所蔵)に「250ポンド焼夷(しょうい)弾1発、100ポンド爆弾15発、20ポンド爆弾50発が投下された」と記録されていたことから、府発行の「京都府100年の資料」や「かくされていた空襲」(京都空襲を記録する会)、「日本の空襲第6巻 近畿編」などにそのまま転用されている。
●本の中には馬町空襲で「モロトフのパンかご」と呼ばれていた焼夷弾が落ちたと書かれていたり、京都を狙った空襲との説もある。だが、今回発見の米軍側新資料には、焼夷弾投下は記載されておらず、第一目標ではなかった。市民団体は「爆弾の種類や数が異なり、通説は訂正する必要がある」としている